たつや(ユニぞう)のワーホリ日記

高校中退8年引きこもり後、外国人たちと仲良くなりワーホリに行くまでになった経緯を持つ筆者のブログ.2年間ものカナダのワーホリを終え、2021年10月からメキシコで仕事しながら旅を開始!

ジャパレスを三日でクビに!?

 

tatsuya8nenhiki.hatenablog.com

 (追記 無事後にローカルの仕事ゲットしました)

どうもジャパレスを三日働いただけでクビになった、たつやです。w

5月の半ばすぎた頃、メルボルンにい続けるか、当初の目的であったパースにいくか、ファームに2ndとお金を稼ぎに行くか迷い始めていました。

周りのバッパー仲間に俺がいつまでも仕事を探さないことに心配し始めている様子だった。なぜかというとメルボルンでの仕事探しはみんなかなり苦労しているようで、しかもバッパー代も俺の泊まってるバッパーはそんなに安くないし、都会だしでお金はどんどん減っていく一方。

バッパーは居心地がいいというだけでメルボルンにい続けるのはどうかと思い始めていた。もともとここに来た理由は日本で出会ったワーホリでメルボルンに滞在していたチリ人のカップルとヴィクトリア州の海外沿いの小さな町、torquay出身のオーストラリア人男性とメルボルンを旅行したことあるアメリカ人女性にカウチサーフィンで出会ったからだ。チリ人カップルが5月21日ごろにメルボルンに訪れると聞いたので、再開するために13日から滞在しつづけていたが、予想外にスケジュールが遅れて28日になるとメッセージが届く。

それまで手持ち無沙汰だなーっとメルボルンの街をあてもなくふらふらしてたら、カジノのレストラン街近くで写真を撮ってる女の子を見かける。

彼女に話しかけると(無駄に行動力がある)カジノ近くのレストランで働いてるとのこと、キッチンハンド募集してるから行ってみればと言われる。

すごい元気なタズマニア出身の女の子で電話番号も教えてもらう。別れの際はハグ。

早速翌日、日本で作成したレジュメを保存したパソコンからバッパーの受付のパソコンに送ってコピーしてもらう。

そしてステートオブヴィクトリア図書館に行き、コピーするための会員カードを作ってお金を払って何十枚かコピーする。

ちなみにバッパーでは無料でプリントアウトしてくれて、何枚いる?って聞いてくるから頼んだら10枚は刷ってくれそうだけど、いちおう無料だから気が引けたので図書館でバッパーですってもらった1枚を図書館で有料コピーでふやすことにw

手始めにどきどきしながらメルボルンのクラウンカジノ近くのyara川沿いにあるレストランにレジュメ配り。

翌日以降連絡も無く、再びどうしようかなとサザンクロス駅前をふらふらしてると日本人女性で一人旅してる人に出会い、セントキルダビーチが綺麗と聞いて、行くかどうか駅前で迷ってるとホームレスに迷ってるのか?といきなり話しかけられてセントキルだ行きたいんだけどって思わずいってしまったら、そこのトラムに乗ればいいと言われて、トラム乗り場に行くと、体格のいい見た目がアジア人男性に日本人か?と英語で話しかけられて、いろいろ話してると、彼は両親が中国人でロシア生まれでニュージーランドで幼少時代過ごした後、10歳のときからオーストラリアで育った、なにやら複雑な経緯を持っている男性だった。

日本人の友達とオーストラリアで数年間行動を共にしたことがあり、日本を旅したいらしい。なにやら合気道も習いたいらしい。いろいろ話してたらセントキルダ案内してやろうという流れに。

彼はマークといいメルボルン郊外の工場で夜勤勤めらしい。冬だからかなり寒くて風が強かったけど綺麗なビーチ沿いやレストラン街を歩く。

nandoという南アメリカ料理のフランチャイズレストランで昼食をとる。

彼は俺がサンドを注文するときに、フライドポテトをシェアしようと言ってきて、案内してもらってるみだから俺が払うことになんら問題はなかったが、俺がラージをたのむと、横から彼はシリアスリービッグ(一番でかいポテトのサイズ。俺はメニュー表あんまよく見てなくて存在に気づかなかった)それと同時に彼は店員に事前に揚げたやつじゃなくて、揚げたてのをくれと頼み始めた。

彼は一番やすいクスクスという南米ではポピュラーな料理を頼んだ。

彼はフライドポテトをすごい勢いでがっついていた。

案内してもらってる身だから特に文句はいわなかったけどw

たまに黙り込んだり、トラムの中で人に話しかけたり、つかみどころのない青年だった。

チリ人カップルが勤めてたメルボルン郊外のカールトンにあるレストランにレジュメを渡してついでに何か食べて帰ろうとおもったが、若干冷たくあしらわれる。というのも従業員の人がなに言ってるのかわからなかったのもあるけど、たぶん3時ごろに行ったから片付けの最中だったんだと思う。

日本語の求人サイトでセントキルダのとある日本料理やの募集を見て、レジュメをもっていったところ、さっそく翌日からきてくれと言われる。

帰りにビーチ沿いを歩いているとドイツ人女性の旅行客と立ち話。それにしてもめっちゃ寒い。

そのあとヨットが係留してある場所に行く途中に、日本刀製作に興味のあるアメリカ人に出会い長話。いい出会いだったけど、今思えば早めに帰っておくべきだった。

というのも以前からすこし風邪ぎみだったが、翌日以降かなり風邪がひどくなり、ジャパレスで働いた初日も仕事中Tシャツだったので、さらに翌日ひどい熱がでる。ルームメイトのドイツ人の男の子に風邪薬を貰うも一向に治る気配が無く、店に連絡し休ませてもらうことに。働いたのは5月26日。んで27日28日休むことに。しかしチリ人のカップルが28日に会えるということで風邪をおしてメルボルン中心部から少しはなれたカールトンのバーまで出向くことに。チリ人たちがくるのが遅くて夜の寒い夜空の下バーの外で1時間ぐらい待つことに。このとき本当に風邪がしんどくて、ここで死ぬんじゃないかと思った。

他のチリ人仲間とも合流して一杯。そしてもう翌日チリに帰るっていうことで、早々に解散。

ぶっちゃけこの頃からメルボルンに来たことを後悔し始める。

週初め月曜日に出勤するもまだ風邪は治らず、チリ人に会うために出かけたのが完全にまずかった。従業員の香港生まれでメルボルンの大学にかよってる男の子と日本人の男の子と仲良くなる。

まかないはでるし、帰りにジュースもらえるし、週一で給料銀行振込、年金もあり。時給も悪くなく、ホステル仲間やチリ人カップルにラッキーだねって言われる。チリ人仲間には仕事着くまでに3ヶ月かかった人もいたらしい。。

マネージャーはオーストラリア人で、日本人大生シェフが二人いて、日本人女性のウェイターやキッチンハンド、他にはベトナム人香港人やカナダ人やフランス人や韓国人など、基本的にみんな英語で会話している。

銀行口座などの書き込む書類もレストランに提出し、火曜日にはかなり具合が良くなりこれからがスタートだなと思った。午前と午後遅くまでフルで働けるので計算すると週で結構稼げる。シティ生活がこれから始まるんだと夢を膨らませていた。

が、しかし、6月1日の水曜日の朝、出勤は午後以降だったので、朝スタバでマックブックひらいてレジュメ製作を手伝ってくれたアメリカ人の友人のjohnに意気揚々にメルボルンでの暮らしぶりのメールを書いてる最中にマネージャーから電話がかかってくる。なにやら渡したエプロンを返すためだけにレストランにきてほしいとのこと、それで今日は働けない。もしシフト表に俺の名前が来週書いてあったらまた連絡する。三日働いた分のお金はキャッシュで払うとのこと。。。一瞬なにいってんのかわからなくて、幸せの絶頂から不幸のどん底に叩き落とされた瞬間だった。

結局すぐホステルにもどりエプロンを選択し、アイロンを受付でかりて綺麗にたたんで、約束の時間に返しに行くも、マネージャーが不在で次に権限があるみたいな人物が給料を払うから待ってほしいと他の従業員に言われるも、一向にその人物がでてこず、従業員が電話で呼びかけるも応答しない。

しばらくまってようやくでてきて、電話で説明したことと同じようなことを言われる。

んで働いた時間とお金を確認してくれと言われる。あとから気づいたけどお札がかなりぼろぼろで一部やぶれてるのをセロテープでくっつけたものもあった。

まあでも初給料でちょっと感動しつつ、実質の首だよなーっていうか周りの従業員がお別れの雰囲気で俺をみてる。日本人の女性従業員の人が、これからあてはあるのかとかなり心配そうな目線でみてくる。

シティに住んでるからなんとか仕事は探せると思います。といってみたものの。

それから仕事にふたたびつけたのは6月9日になる。

俗にローカルジョブと呼ばれててジャパレスではない。(クビになったジャパレスもマネージャーがオージーだし、週一給料振込や年金があったり十分ローカルに属してると思う。)今の職場は同僚に日本人が存在しない職場である。

自分はかなり運がいい方だと思う、しかし今の仕事を手に入れるまでのこの一週間と数日の間は様々なことがあってブログには書ききれない。

人生の中で一、二を争うくらいに辛い期間だったと思う。

この話は後ほど

 

 

tatsuya8nenhiki.hatenablog.com

 

tatsuya8nenhiki.hatenablog.com