たつや(ユニぞう)のワーホリ日記

高校中退8年引きこもり後、外国人たちと仲良くなりワーホリに行くまでになった経緯を持つ筆者のブログ.2年間ものカナダのワーホリを終え、2021年10月からメキシコで仕事しながら旅を開始!

ジャパレスをクビになった後の8日間

 

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 (追記 無事ローカルな仕事ゲットしました)

たつやです。

ジャパレスを6月1日にクビになったあと、新しい職場に出会うまで8日ほど要しました。非ジャパレスで日本人が俺しかいないレストランです。

同僚にはオーストラリア人の大学生などがいます。

日にちに直してみるとすごい短い期間で、しかも非ジャパレスでかなりのラッキー野郎と思われますが、この8日間の精神状態はやばく、今までの人生の中でも特に辛い期間となりました。

まずメルボルンに滞在しはじめて三週間が経とうとしていて、僕はあまりお金をもってないので、さっさと当初の目的であったパースに飛ぶかファームに行ってお金を稼ぐかの選択肢が脳裏にちらつき始めます。いちおうここオーストラリアに来た目的を整理すると、第一に英語を身に付けたいこと。

そのためにアコモデーションバックパッカーを選び積極的に人と交流するようにしました。

仲良くなった2ndを取得して14ヶ月オーストラリアに滞在しているドイツ人に俺が検討していた歩合制のストロベリーファームは、歩合制はだからやめた方がいいと言われる。いちおうストロベリーはアジア人優遇だし、座って作業できる台車みたいなのが使えるところはまだましらしい(ハードにはかわりない)。ヨーロッパ人は基本的にストロベリーファームの情報はもってない。なのですごく不安がってきた。ストロベリーファームのバイザーにはアジア人が多く、アジア人はハードワーカーということでアジア人以外の人種は雇わないところもあるくらいで、実際に求人サイトに掲載されていた雇用担当者数名にコンタクトを取ってみると、アジア人以外は雇わないと断言された。

クビになったジャパレスで出会ったセカンドを取得した日本人の男の子はタズマニアのトローリーという座りながら収穫ができるストロベリーファームで働いていた経験があるらしく、おすすめとは言っていた。

ルームメイトのメキシコ人に話をすると、かなり反対された。というのもシティを離れアジア人だけの環境、しかも聞くところによるとアジア人だらけ、特に日本人は多く、もしかしたら英語を使わない日々が2nd取得の3ヶ月まで続くんじゃないのかと不安がられる。

とりあえずレジュメをシティ内や郊外のスミスストリートやブルスウィックストリート、フィッツロイ、サウスメルボルンなどでレジュメを配りつつ、常にクイーンズランドのストロベリーファームのコントラクターたちと情報交換のどっちつかずの日々。

そんなときにオーストラリアにきたばかりのチリ人4人組と出会い、彼らはあまりお金をもってないらしく、着いて早々に仕事探しし始めるも、不安だからどこかファームへいくかもしれない。だからもしクイーンズランドのファームにいったときは、彼らが数週間たって仕事が手に入らなかったら、ファームに誘ってほしいということも言われる。彼らは結局二週間たつまえに仕事をゲットする。

この8日間は様々な人たちに励まされた。

同室のメキシコ人やオランダ人の男の子、仲良くなったドイツ人、旅をしてるスコットランド人の老夫婦。

たまたまレジュメ配りにはいった日本人が経営してるジャパレスから、すぐにトライアルの連絡がきて、2時間受けるものも、熟達した即戦力がほしくて、最初は週に10時間未満で主に皿洗いでしか働けないと言われ、やはりジャパレスでも厳しいところは厳しいと感じる。日本でワーホリブログを見ていた時にジャパレスは比較的簡単に勤められるという情報を知っていたが、トライアルをうけたジャパレスの条件は二週間置きに給料支払い、最初は短時間でしか働けないし、仕事を覚えれば長時間働けるようになるが、トレーニングは行わない(これは本当に驚いた)。もちろん長期間働けば労働時間も増えていくだろうが、トレー二ングをやってもらえない、さらに皿洗い。まともに仕事を覚えることはできるのだろうか?もしできたとしても皿洗いからのスタートでなんとか仕事を盗み見て稼げるまでは4ヶ月以上はかかるだろうと思った。たぶん長続きしそうな人の選別のためにそういう条件なんだと思う。5ヶ月以上働くところが条件のジャパレスがメルボルンや郊外には多い。贅沢を言ってると思うけど、半年間ジャパレスに拘束されるのは正直つらい。結局トライアル後連絡はあったが、条件が厳しく、かけもちを強いられるので断ることにした。そのトライアルのためにネクタイと白のワイシャツを買うも結局無駄になってしまう。そういえばクビになったジャパレスでも黒のズボンと靴を用意してほしいと言われ、元々もってきていた黒っぽい紺のずぼんと新しくメルボルンでかった黒のチャンピオンの靴で働いたが、靴が結局無駄になってしまった。(しかし買った黒い靴はあとで有効活用されることになる)

恥ずかしくもネクタイの締め方がうまくいかなくスコットランド人老夫婦に締めてもらう。その老夫婦にはご飯をご馳走になったり、ノースメルボルンの綺麗なホステルに連れてってくれて、そのホステル近くにはレストランやカフェがたくさんあり他の街に訪れると選択肢が広がって視野も広くなっていいんじゃないかと勧めてくれた。

もちろん同室のメキシコ人もレストラン中心で探していることの視野の狭さを指摘した。ハウスキーパーGPS付きスマホを使っての出前サービスなども視野に入れたほうがいいと言われる。

その頃からたまに情緒不安定になるはじめ、レジュメ作成を手伝ってくれたアメリカ人男性(61歳。彼が日本をたびしてるときに出会い案内してあげた)ジョンはメールの返信催促をするきらいがあり、俺がジャパレスクビになってから返してなかったことを不満に感じ催促をしてきて、ついでに彼はオーストラリアが嫌いで東南アジア諸国をたびした後ニュージーランドにいくといってたが、今になってメルボルンは良さそうだから、行こうかどうか考えているといってきて、俺がいったことのない東北や北海道の旅の情報がほしいといってきた。今正直それらのことに集中できなくてなかなか返信できなかったときに、催促のメールがきて、ついに爆発してしまい。今はそれどころじゃない経緯を殴り書きして、今は時間がないというスパムメールじみた短文は数十回おくりつけてしまった。

一旦冷静になって謝罪のメールを送り、俺がジャパレスクビになる直前に書いていたメールが送信されてないことに気づき二週間以上俺は返信していないことに気づく。

完全に俺のミスである。

そして今更、ジャパレスクビになる直前に意気揚々とハッピーな気分で書いていたメールを送り、さらにジョンを混乱させてしまうことになる。

事態の詳細を説明したメールを再度送り、正直、日本で外国人旅行客たちを無料でガイドしたり助けていた頃に、自信を持っていた英会話が全然通用しなくて絶望感を感じていることも吐露した。人が言ってることが聞き取れないし、俺の発音では聞き取ってもらえないことなど。なんとか人の輪にはいっていけてたが、それは最初にホステルについたときにできた仲間が本当にいいやつらばっかだったからだ。そしてジャパレスをクビになったことを両親に報告できないことや、ファームに行くかオージーの友達がいる他の都市に行くかメルボルンにい続けるか決断できなくて駅やホステルで泣いてしまったりしたことなどメールに書いた。

ジョンは励ましのメールをすぐ送ってくれた。彼との出会いは日本で偶然俺が話しかけたところから、観光地をいろいろ案内してあげて、オーストラリア行き直前にまた来日して観光を手伝ってあげた中で、正直かなりわがままで、レストランやホテルに滞在したときに従業員たちに対する要求がかなり無理が多く迷惑をかなりかけることが多く、衝突も多かったが、ジョンからの励ましのメールはここにきて最大の心の支えとなった。

彼は元々英語教師で退職して今は世界をたびしている。若い頃に両親を失い、国の援助で大学に通ったり、試験を繰り返し、留学の権利を獲得して、20歳のころにスイスに渡る。

彼も異国の地で苦労したらしくシンパシーを感じたらしい。

メキシコ人のルームメイトのリッチもジャパレスのトライアルが決まったことをまるで自分のことのように喜んでくれた。

同室のオランダ人のマリオやマリオといつもつるんでる仲良しドイツ人男女混合3人組たちも喜んでくれた。

そのころから精神状態が安定し始めてきた。その前は他の街にうつるかファームへいくか、メルボルンで仕事探しを続けるかはっきりと決断できずにいたころはセントキルダを案内してくれたマークに「君はdecisionを失っている。」とはっきり言われてしまっていた。

たしかに今まで出会ってきた人たちは、何かしら目的を持ってワーホリビザやスタディービザできている。ただ単に楽しみを重視して来てる人、語学学校に通いに来た人、お金を稼ぎに来てる人。

俺は日本人に出会ったチリ人とオーストラリア人の友達の家に訪ねるために、メルボルンに来て、それを達成するまでは大して目的がないとホステルで言った時に、数人の反応が芳しくなかった。今思えばメルボルンきた理由が弱いような気がした。

クビになったジャパレスの仕事に就く前、チリ人のカップルが到着するのが5月21日から27日ごろになると言われ絶望感を感じた。というのも当初は13日にメルボルンに到着したあと、15日から18日にオーストラリ人の友人宅にとまって21日にチリ人にあって、それから他の都市に行こうとしたからだ。

27日まで滞在してしまって、友達もたくさんでき、後ろ頭をひかれるようになり、他の人たちが仕事探しをしてるなか、俺だけ宙ぶらりんで浮いた存在になっていたことにもすこし違和感を感じていた。

友との再会とは聞こえがいいが、友達と会うために数週間浪費するのは、期間が限られてるワーホリですることだろうか?という疑問をまず浮かべるべきだったかもしれない。日本人が恋しくなって、街でみかけてメルボルンの大学に留学しにきた男性二出会うが、

正直メルボルンに着いた当初はこの街は好きではなかった。ゴミが辺りに散乱していて、寒いし、気候が変わりやすく安定しない、ブラックスワンで有名なヤラ川はすごいきたない(w)。街にでると様々な人種が行き交い、正直アジア人とインド人の都市なんじゃないかと思うくらいオーストラリア人をみかけないようなきがした。英国風の町並み、都会だけど緑あふれた公園があり、素晴らしいストリートアーティスト、エネルギッシュなストリートアート、おしゃれなカフェが軒を連ねるコーヒー好きにはたまらない街というのは聞こえがいいものの、好きにはなれなかった。実際にそれらは素晴らしいと思うし、問題は自分の中にあることだと今になっておもう。単純にメルボルンに興味がなく、楽しみ方を見つけようとしない自分がいたからだ。

ただ仕事探しの一週間の間、ここにいる理由ができてしまった。

一番の不安だったのは金銭面である。6月初めにいけば、旬真っ只中の7月8月9月でかなり稼げるらしく、都会から離れてお金が貯まる一方でお金を手に入れれば、余裕ができて他の都市や街を旅したりして、中古車を買ってラウンドもできるだろう。日本でであったり、語学学習サイトで出会ったオーストラリア在住の友達がブリスベンシドニーやパースにいる。その人たちと会うことはとても素敵なことだと思う。それらすべて魅力的だ。ただ自分を応援してくれるメルボルンにいる友達の手を振り払ってファームに行くというのもどうだ?

結局自分はメルボルンで出会った友達を選ぶことにした。自分をこんなにも応援してくれる人の元を離れことに対して違和感を感じ始め、俺はこの街にいたいと思うはっきりとした考えが生まれ、マークに失っていると言われたdecisionを獲得することが8日間の終盤でできた。

そしてついに飛び込みでレジュメを配りに入ったローカルのレストランで、即日キッチンにはいって皿洗いや雑用を2時間くらい手伝い、それからトライアルと称した3日間の労働を経て正式に採用される。そのトライアルの三日間の給料もちゃんと支払われた(キャッシュで)。

たまたまマネージャーが店にいたから即日キッチンに入って手伝えたと思う。

マネージャーにいろいろ質問してきた。

いつオーストラリアに来たのか?

ビザはなんだ?

週に働ける時間に制限はあるか?

なんでジャパレスをクビになった?

ジャパレスでの給料はいくらだったか?

俺は必死に説明して、鞄にいれてたジャパレスでもらった給料の封筒と中身を見せた。

実はジャパレスの給料に全く手をつけてなかったのだ。クビになった悔しさを忘れないために使っていなかった。

もしマネージャーが店にいなかったら?俺は採用になっていたかどうかわからない。

他の従業員はまたマネージャーが面白いことしはじめたみたいな、表情で快く俺を受け入れてくれた。

同時期にアジア人が経営してる寿司屋に行った時も、マネージャーと話しをする機会があって、キッチンハンドのトライアルの話しをもちかけられた。他のレストランのトライアル結果を待ってから、トライアルを受けたいと話をしたら、都合のいいときに連絡くれればトライアルの時間を設定すると言われた。

やはり雇用をする権限があるマネージャーや経営者と話しをするのが仕事ゲットの近道なんじゃないかと思う。

それはかなり運が左右されることだと思う。

今は雇ってもらったレストランで必死にくらいついて、できることはないかと常に聞くようにしている。

マネージャーや従業員は非アジア人、日本人は自分だけ。

日本人のワーホリブログを読み漁ってもなかなか非日系のレストランで働いた経験者のブログは少ない。

日本人が常にいなくて英語ができなくてクビになった筆者のブログは読んだことがあるが、俺みたいに経営者がオーストラリア人とはいえ、常に日本人が常駐してるジャパレスでクビになった話は知らない。

実際ホステルやたまにレジュメ配りで出会った人たちと話してるときに日本人のいるジャパレスをクビになった話しをすると相当驚かれる。

まずワーホリできて今レストランで働いてると初めて会った人に言うと、最初に帰ってくる言葉は「ジャパニーズレストラン?」である。

働いてるのはジャパレスではなく、しかも日本人のいるジャパレスをクビになったことがあることを伝えると相当驚かれる。それぐらいワーホリメーカーにとって日本人のいるジャパレスをクビになることは日本人にとっても、他の外国からきた人たちからも衝撃なのだ。

ワーホリには人それぞれ違ったストーリーがあるとは言うがオーストラリアにきて1ヶ月相当自分の経験は濃いものになったと思う。

 

 

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