たつや(ユニぞう)のワーホリ日記

高校中退8年引きこもり後、外国人たちと仲良くなりワーホリに行くまでになった経緯を持つ筆者のブログ.2年間ものカナダのワーホリを終え、2021年10月からメキシコで仕事しながら旅を開始!

8年引きこもりを脱出した方法

2007年から2015年まで引きこもりだった俺が、引きこもり脱出の前にしていたことを書いてみたいと思います。

まず高校中退後、何をしていたかと言うと動画生配信ソフトウェアを使って、ゲーム動画配信したり視聴したりしてました。今で言うところのニコ生配信やTwitchのようなものです。

自分でチャンネルを立ち上げ、ゲームプレイを流したり、ウェブカメラをつけて顔や部屋の様子を映しながら雑談など、24時間誰かが配信をしていました。当時は個人ネット配信黎明期で著作権関係にうるさくない自由な時期でしたので、多種多様な配信がたくさんありました。朝から晩まで休みなくPCの前にいました。時間帯ピークは夕方から深夜なのでよく昼夜逆転生活となっていました。体調が優れず、やる気が起きずそのままずるずると2014年の11月まで同じような生活を続けていましたが、姉がついに結婚しました。姉は10年近く付き合っていた彼氏と結婚しました。それまで姉は実家住まいでした。誰も10年近くかかった理由については触れませんでしたが、俺の予想では俺含め家族が心配で実家を離れられなかったんだと思う。普段外に出ない俺も姉の結婚式には出席しました。久しぶりに会う親戚の人たちや姉の旦那さんのご両親や親戚の方々は温かく迎えてくれました。

結婚式の後、姉夫婦には幸せになってほしい純粋な気持ちが生まれます。酒の席で新郎のご両親が初孫は男の子がいいなんて冗談を飛ばしてたとき、うちの両親も満更ではない表情をしていて、俺も甥が出来たらいいな、姉夫婦も両親もきっと幸せだろう、突然幸せそうな姉夫婦が赤ちゃんを抱いているイメージが頭に浮かびます。(2016年末、姉は男の子を出産します。)そのために何が俺は何ができるんだろう。まず外に出て働く事ではないかと考え始めます。そのためにしたことは昼夜逆転を直すことだと思いました。夜床に着いて寝ようとしても、普段から夜に起きてパソコンの前にいたので寝つけません。そのまま就寝できず、朝を迎えてようやく就寝...そして昼間に起床...まるで何も変わってないので、あるルールを設けました。

 

夜9時に床に着く。

朝6時になったらベッドから起きて好きなことをする。

一睡も出来なかった場合、夜9時まで起き続ける。

朝昼夕、三食食べる

 

最初のうちは当然一睡も出来ないので完全徹夜でした。朝昼に寝てしまうと昼夜逆転を修正出来ないので、昼間は自分の好きなネット配信を見て睡魔と格闘しました。

完全徹夜の後の夜はグッスリ眠ることができました。夜眠れなかった後の起き続けるのは大変苦痛だったし、眠れても昼間まで寝てしまうこともありましたが、結果二週間ほどで薬物療法無しで昼夜逆転を修正できました。親もかなり驚いてました。

次に体調や気分がとでも良くなり、食欲が出て来ました。自分が食べたいものを選んで食べたいという欲が生まれました。

両親は共働きで、いつも母親が昼ごはん作り置きしてくれてました。俺は母親に昼ごはん作り置きする代わりに、1日1000円のお小遣いを貰い、まだ日が昇っていない朝4時に起床し、外に出て、24時間営業のスーパーやコンビニに、昼ごはんやおやつを徒歩で買いに行くようになります。(当時は11月末だったので、朝四時は真っ暗闇)

まだ近所の人の目の着く日が昇った時間帯には外にでることはできませんでした。

朝4時起きなんて早すぎと思うでしょうが、夜9時就寝が板に付いた場合、7時間は寝ていることになります。自然と4時に目が覚めていたし、大抵お腹が空いているので、明朝の散歩を兼ねた買い食いの習慣ができあがりました。

そして、自分で24時間スーパーで食材を選んで昼食をつくるようにまでなりました。 

家から24時間スーパーまで 徒歩で片道30分の距離でした。コンビニは途中に何軒もありました。最も近いコンビニの距離は徒歩10分でした。

スーパーの帰り道にコンビニで、コーヒーやジュースやスナックやおでんを買って食べながら帰るのは本当に楽しかった。

この生活は2014年11月末から2015年1月末まで二ヶ月間続きます。

突然ある転機が訪れます。昔英語が好きで、ネット配信にはまった後も海外のネット配信や自分の好きな格闘ゲームの世界大会はアメリカからのネット配信を見ていて、英語が出来るようになればいいなと思ってました。

明くる2015年、1月末、英語の専門学校へ行くことを思いつきます。高校認定試験は受かってました。高校3年の最後に中退したので、ほとんどの単位を修了していて、単位証明を行うと、一科目だけ受けて合格点を取れば試験合格だったので2013年に受けて合格していました。

なので専門学校に進学できます。ただ、学校通うにはお金が必要。両親に頼むことは容易。でもそれでいいのか?と考えたときにはすでにある衝動に駆られ、いつも通っていた24時間スーパーの近くのコンビニに朝4時に行き、そのとき働いていた店長に働きたいと告げていました。店長には人出は今足りてると断られます。店長は続けて、知り合いのコンビニが人が足りてないと聞いたから、そっちにあたってみて、と言われる。そのコンビニは家から徒歩10分圏内の一番近いコンビニでした。そこのコンビニにも行き、深夜の店員に連絡先を告げて、そこから家に帰る途中に店長から即電話がきて、朝10時に面接に来て欲しいとの電話が!

家に帰り、起床した両親に説明。働くかもしれないと知った両親からは、なんとも言えないような笑顔が...本当にうれしそうな笑顔だった。

久しぶりに両親の本当の笑顔を見たような気がする。

店長兼オーナーの面接の後、即採用、夕方にまた研修に来て欲しいと告げられる。近所に二店舗目も持ってるらしく人材不足に悩んでたらしい。

研修は単なる店内のオリエンテーション。小一時間で終わる。翌日は別の新人の研修が入ってるため、2日後にまた研修のために来て欲しいと言われ家に帰り、急に全身が震え出し、なんとも言えない悪寒のようなものを感じる。全身が不安で包まれているような、本当に気持ちが悪い感覚を今でも覚えている。

久しぶりに人と会話し、人目のつく場所に出るという慣れてないことをしたためだろうと父はいう。母ともすぐはなしたかったが、夜勤だったので家には不在。人生で初めてのアルバイトだ。どうしょうもない不安に駆られるのは無理が無いことだとわかっていても、自分が情け無くてしょうがなかった。

今でもその夜の父との会話は断片ながら記憶している

俺「ごめん父さん、無理かもしれん。あさっていかんかも。ごめん」

「謝らんでええ。嫌ならいかんでええ。ゆっくりでええ。ようやったよ。」

 翌日は、朝起きることはできても気分が優れず、未だに全身から震えが止まっていなかった。水泳が終わってプール上がった直後のような寒さで全身が震え、顎がガクガク鳴るような感覚に近かった。暖房をつけて部屋を暖かくしても止まる気配がない。日課だった明朝の買い出しにも行かず、父が出勤した後、母親の夜勤帰りを待っているとき、ふと姉に電話をかけることに。姉は結婚を機に実家を出ていた。そのとき姉は仕事が休みで電話に出てくれた。

姉も父と似たようなことを言って

「嫌なら働かなくていいよ。面接に行けただけでもすごいじゃん。暖かくして寝」

看護師の母が帰ってきて事情を話すと、慣れない場に身を置いたせいで神経の緊張状態が続いているのだろうという。とりあえず暖かくして床に着くように言われたが、パソコンの前を配信を見ながら、部屋を目的も無くうろうろしてた記憶がある。

翌日、なんとか震えが収まり、家族には無理しなくていいといわれていたが、結局ここで逃げたらなんも変わんねーじゃんということで、研修を受け正式採用されて、約一年のコンビニバイト生活が始まることに。

結局このバイト生活の過程で、運良く多くの外国人の知り合いができ、ワーキングホリデーのことを知り、英語の専門学校に進学を辞め、オーストラリアへワーキングホリデーのために行き(2016年5月)、初の海外生活をすることに!

コンビニバイト時代の外国人との出会いや、引きこもり前にあった、英会話習得を志したある決定的な出来事についてまた時間があったら書こうと思います。